趣味におけるポリシーと偏見のはざまに・・・
予め書いておきますが、今回はストレスから久しぶりに酒を痛飲した頭で書いた駄文ですのでまとまりのない内容ですが、ご勘弁を。
今回は鉄道模型における偏見、或いは狭量なポリシーについてわたし自身の経験に照らし合わせて感じた事から書きたいと思います。
だいぶ前の話になるのですが、帰省の折に故郷のレンタルレイアウトのご店主から伺ったのですが、そこの店の客の中に「自分は昔の国鉄型のファンでそれしか認めない。だから自分が走らせる時には他の客にも昔の国鉄型だけを走らせてもらわないと嫌だ」と言って来た方が居たのだそうです。さすがにご店主もその客には辟易したそうですし、聞いているわたしも正直いい気分ではありませんでした。
あるいは別の店で聞いた話では「本当ならうちでもHOゲージのレンタルレイアウトをやりたいけれど、HOの客の中には運転しながらNゲージの悪口を聞こえよがしに言う客が多いのでなかなか踏み切れない」と言うのもあったりしました。
こと、鉄道模型の世界ではこの手の話を聞かされる確率が(少なくともミニカーとかアニメモデルの世界に比べると)比較的高いと個人的には感じています。
実際、偏見と趣味人としてのポリシーとは紙一重のところにありますし、価値観の多様化と称して結局は自分自身を貫く筋すら見失ってしまうのはそれはそれで危険とは思います。
実際に店頭とかイベントなどでたまにですが「見た事も馴染みもないから外国型は嫌いだ」とか「ガニマタが嫌だから16番はリアルでない」とか「ブラスモデルが本道でありプラやペーパーモデルなんか真の模型でない」とか、「模型は実物の正確な縮小であるべきでフリースタイルなんかオモチャと変わらない」とか聞かされることがあり、よくもまあポリシーというか偏見の種が尽きない物だと逆に感心するくらいなのですが、そうは言ってもかく言うわたし自身が趣味の中断前には「基本国鉄型、それも故郷で見かける奴しか揃えたくない」とか変に凝り固まっていた位なのであまり偉そうなことは言えません。
そんな具合でHOゲージとか外国型とかZゲージなんてのはかつてのわたしにとっては関心の外の世界であり、ましてやフリーやショーティのモデルなんかに興味が向くなんてことはまずなかったものです。
で、20年ほどして再びこの趣味を再開した時だって、主にレイアウトのサイズの関係から当初は「路面電車や軽快車両のみ」にポリシーをおいていまして、あの当時(も今も)Nゲージのメインストリームだった「フル編成志向の長大編成」すらも半ば忌避していたくらいでした。
ですが、趣味を再開してクラブに入ったあたりからまず「長編成列車の魅力を再確認する」から始まって、やがてHOゲージ、Zゲージはもとより中断前には趣味の埒外だった「16番のフリーモデル」「メルクリンのAC3線式」「ミニトリックスやフライッシュマンの外国型」のアイテムなんかも中古とはいえ前よりも手軽に触れられるようになってくると、そのそれぞれにも特有の魅力が感じられたり、普通のNや16番のモデルにない活気と闊達さ、ポリシーの深さに驚かされたりする様になりました(まあ、再開してからそろそろ20年近くになりますから、自然そういう機会に触れる事も増えてきていると思うのですが)
言ってみればそれらの「異世界に触れる」というプロセスそのものは例えるなら「わたしの中に内在していた偏見が木っ端微塵に砕け散る」繰り返しだったと言えますが、実をいうと「自分の中の偏見が砕け散る事による解放感、爽快感」の様なものも同時に感じて来たのも確かです。
今でも何年かに一度はそういう事がありますし(最近ではホーンビィのOOモデルなんかがそうです)その度に「それまでとは違う趣味人としての自分」を感じられるのが楽しかったりもします。
いい歳こいたおっさんの身分になって趣味の世界とはいえ「自分が前より成長したような感覚」を得られる事はなかなかそうあるものではないのではないでしょうか。
(まあ、それが楽しいのは楽しいのですが、さすがに最近はそれらの場所塞ぎがそろそろ問題になっている感もあります汗。いくら安かったからと言ってもHOや16番がNの何倍も容積を取るのは事実ですから)
もちろんそれらの魅力については専門誌や入門書で「読む」「知識として知る」事は出来ますが、やはり実物に触れ、体感する事にはどうしても敵いません。それらの経験の中でわたしがまず最初に気付いたのはそこでした。
そんな経験もあって、自分のメインから外れた趣味や嗜好をけなしたり排斥する様な気分にはなかなかなれませんし(但し受忍限度を超える様なマナー違反や独善的な性向に触れた場合は除く)イベントなどで普段触れる事のない異なる嗜好のモデルやフォーマットを愉しんでいる人たちを見ているのが楽しかったりもします。
それでも自分の趣味のポリシーの中にはまだまだ偏見に基づく先入観がない訳でもないでしょうし、これからも何かに触れる事をきっかけにそうした無意識の偏見を気付くこともあると思います。
それこそがこうした異世界との接触の御利益なのかもしれません。
今回もいつになくとっちらかった論旨になりましたが、ご勘弁ください。
(写真は本題と関係ありません)
光山鉄道管理局
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今回は鉄道模型における偏見、或いは狭量なポリシーについてわたし自身の経験に照らし合わせて感じた事から書きたいと思います。
だいぶ前の話になるのですが、帰省の折に故郷のレンタルレイアウトのご店主から伺ったのですが、そこの店の客の中に「自分は昔の国鉄型のファンでそれしか認めない。だから自分が走らせる時には他の客にも昔の国鉄型だけを走らせてもらわないと嫌だ」と言って来た方が居たのだそうです。さすがにご店主もその客には辟易したそうですし、聞いているわたしも正直いい気分ではありませんでした。
あるいは別の店で聞いた話では「本当ならうちでもHOゲージのレンタルレイアウトをやりたいけれど、HOの客の中には運転しながらNゲージの悪口を聞こえよがしに言う客が多いのでなかなか踏み切れない」と言うのもあったりしました。
こと、鉄道模型の世界ではこの手の話を聞かされる確率が(少なくともミニカーとかアニメモデルの世界に比べると)比較的高いと個人的には感じています。
実際、偏見と趣味人としてのポリシーとは紙一重のところにありますし、価値観の多様化と称して結局は自分自身を貫く筋すら見失ってしまうのはそれはそれで危険とは思います。
実際に店頭とかイベントなどでたまにですが「見た事も馴染みもないから外国型は嫌いだ」とか「ガニマタが嫌だから16番はリアルでない」とか「ブラスモデルが本道でありプラやペーパーモデルなんか真の模型でない」とか、「模型は実物の正確な縮小であるべきでフリースタイルなんかオモチャと変わらない」とか聞かされることがあり、よくもまあポリシーというか偏見の種が尽きない物だと逆に感心するくらいなのですが、そうは言ってもかく言うわたし自身が趣味の中断前には「基本国鉄型、それも故郷で見かける奴しか揃えたくない」とか変に凝り固まっていた位なのであまり偉そうなことは言えません。
そんな具合でHOゲージとか外国型とかZゲージなんてのはかつてのわたしにとっては関心の外の世界であり、ましてやフリーやショーティのモデルなんかに興味が向くなんてことはまずなかったものです。
で、20年ほどして再びこの趣味を再開した時だって、主にレイアウトのサイズの関係から当初は「路面電車や軽快車両のみ」にポリシーをおいていまして、あの当時(も今も)Nゲージのメインストリームだった「フル編成志向の長大編成」すらも半ば忌避していたくらいでした。
ですが、趣味を再開してクラブに入ったあたりからまず「長編成列車の魅力を再確認する」から始まって、やがてHOゲージ、Zゲージはもとより中断前には趣味の埒外だった「16番のフリーモデル」「メルクリンのAC3線式」「ミニトリックスやフライッシュマンの外国型」のアイテムなんかも中古とはいえ前よりも手軽に触れられるようになってくると、そのそれぞれにも特有の魅力が感じられたり、普通のNや16番のモデルにない活気と闊達さ、ポリシーの深さに驚かされたりする様になりました(まあ、再開してからそろそろ20年近くになりますから、自然そういう機会に触れる事も増えてきていると思うのですが)
言ってみればそれらの「異世界に触れる」というプロセスそのものは例えるなら「わたしの中に内在していた偏見が木っ端微塵に砕け散る」繰り返しだったと言えますが、実をいうと「自分の中の偏見が砕け散る事による解放感、爽快感」の様なものも同時に感じて来たのも確かです。
今でも何年かに一度はそういう事がありますし(最近ではホーンビィのOOモデルなんかがそうです)その度に「それまでとは違う趣味人としての自分」を感じられるのが楽しかったりもします。
いい歳こいたおっさんの身分になって趣味の世界とはいえ「自分が前より成長したような感覚」を得られる事はなかなかそうあるものではないのではないでしょうか。
(まあ、それが楽しいのは楽しいのですが、さすがに最近はそれらの場所塞ぎがそろそろ問題になっている感もあります汗。いくら安かったからと言ってもHOや16番がNの何倍も容積を取るのは事実ですから)
もちろんそれらの魅力については専門誌や入門書で「読む」「知識として知る」事は出来ますが、やはり実物に触れ、体感する事にはどうしても敵いません。それらの経験の中でわたしがまず最初に気付いたのはそこでした。
そんな経験もあって、自分のメインから外れた趣味や嗜好をけなしたり排斥する様な気分にはなかなかなれませんし(但し受忍限度を超える様なマナー違反や独善的な性向に触れた場合は除く)イベントなどで普段触れる事のない異なる嗜好のモデルやフォーマットを愉しんでいる人たちを見ているのが楽しかったりもします。
それでも自分の趣味のポリシーの中にはまだまだ偏見に基づく先入観がない訳でもないでしょうし、これからも何かに触れる事をきっかけにそうした無意識の偏見を気付くこともあると思います。
それこそがこうした異世界との接触の御利益なのかもしれません。
今回もいつになくとっちらかった論旨になりましたが、ご勘弁ください。
(写真は本題と関係ありません)
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この記事へのコメント
いつも以上にパワーを感じるブログと思いました。美里山倶楽部も一人でコソコソやっていたときと「クラブに入ったあたりから・・・」では随分考えが変化しました。
ああいった緩いクラブで「かなり何でもあり」の柔軟性が培われたと思います。特にレイアウトは大きく影響を受け、第一次甲総越鉄道から現在の第二次美郷山鉄道は造形に自由度が大きく変化しました。
車両も国鉄型から京急、近鉄、JRと幅広くなり、それまでの縛りがアホらしい感じでした。
個人個人の思い入れはいいんですが、カルト教みたいなささやきになると辟易しますよ。
元々メカフェチなので今は碍子の山どんとこいなんですが。
ただ、今でも一本の編成を構成する車両形式の時代考証は気になります。実際のところは更新の形態とかで識者が見れば噴飯ものなんでしょうけど。
そもそも趣味の世界は各人の自由な思想と創作であって、それを他人に強制したり非難するものではないと思います。そういう視点で管理人様が経験されたような独善的な発言・行動は他人の領域に干渉していると思われ、大人の振るまいとしては疑問に感じます。
趣味とはいえ刊行物に作品が掲載されたり(まして賞を取るような秀作)ネット上で注目されたりあるいは運転会や展示会で、自分にはない技法や思想を感じ取ることは社会性とか協調性の点で人格を磨くばかりか、さらなる向上を目指す刺激になると思います。
1983年に作家中森明夫氏が漫画雑誌でオタク文化に関する論文を3か月にわたって発表した時と同じことを鉄道模型の分野で論じているように感じます。
現実世界では直流電車と交流機関車が並走することだっておかしいけれど、模型の世界ならば何でもありで良いんじゃないでしょうか。
自分のレイアウトで拘った編成を走らせるのは勝手にどうぞですし、レンタルレイアウトなどに拘りのつまった編成を持ち込んで走らせるのも勝手ですけれど、自分の考えを他人に押し付けるのはやめて欲しいですね。
私は鉄道模型以外にも結構色んな趣味に手を出しましたけど、例えばオーディオなら「アンプは真空管しか認めない!トランジスタやFETなど論外!」とか「デジタルよりもアナログの音が良いに決まってる!」などと言う人は昔からいました。
カメラでも「デジカメなんて玩具だ。カメラはフィルムに限る!」なんて言う人がいますね。
エアガンでは「連射出来ないコッキング式はサバゲーに参加するな!電動ガンを買え!」なんて言う人がいます。
鉄道模型でNゲージを馬鹿にするHOゲージファンは、普及率や愛好家数などでNゲージに負けているのを僻んでいるのではないでしょうか。
なぜNゲージに負けているのか?それを真剣に考えようともしません。
勿論、1両数十万もする模型しか出さないHOメーカーや、初心者にNゲージしか薦めない模型店にも責任はあると思います。
昔、イタリアのリマ等がNゲージ並に安価なプラ製品のHOを出してましたが、なぜ国内のメーカーには出来ないのか?
カトーやトミックスのプラ製品は安いとはいえ、まだまだNゲージよりも割高感があります。
そういう意味で自分の価値観と合わない楽しみ方を頭ごなしに否定するような人はもったいないなと思いますね。
勿論趣味である以上自分なりの拘りは持って当然とは思いますが
>
返事が遅くなりすみません。
わたしが変わったきっかけもクラブへの参加が大きく影響していたと思います。
あとは「変わったジャンルのモデルが現住地では比較的容易に中古を入手できた」という環境面の要因もあるかもしれません。
趣味を一人でコツコツやる事自体は悪い事ではないのですが、どこかで多ジャンルに触れる機会がないとどうしても凝り固まりがちになる様な気はしますね。
その意味では近年の鉄道模型イベントの増加は視野を広げる上でも大分有効だったのではないかと思えます。
>匿名希望さん
>
返信が遅くなりすみません。
わたしの幼少時は電機自体がED75しかない状況でしたが、そんな環境ゆえに直流機や横須賀色には異様に憧れましたw
時代考証についてですがかつて山崎喜陽氏が入門書で「新幹線が出た後のホームに弁慶号が入ってくる様なのはおやめください(最低限の約束は守りたいものです」と言った意味の事を書かれていましたが、その点に関してはわたしもクラブのメンバーもだいぶ不良ぞろいな気が(汗)
>ホビぽっぽさん
>
最近気になる傾向のひとつですが、自分の好きなジャンルを語る際「他を貶める事で好きを表現する」事が(鉄道模型に限らず)多い気がします。
好きなものを好きである事をうまく語れないが故と思うのですが、まず「嫌い先にありき」の文脈で語られると聞く方は良い気分にはなりませんね。
この辺り、実は大分自戒もこもっていますが。
>さいとう たいいちさん
>
返信が遅くなりすみません。
鉄道模型の場合何故か素材の好悪が語られる事が多いのが不思議です。HOにした所で普及しているのは大概プラ製でDCCレディどころか最初からDCCを装備したモデルすら珍しくないですから。
(尤も、この点ではメルクリンは更に先を行っていますが)
過剰反応とのご指摘、冒頭の過激な論旨のはなしはそうそうしょっちゅう聞かされる話ではないので、ある程度はご指摘の通りだったと思います。
ただ、故郷にしろ現住地にしろ「田舎を絵に描いた環境でありながら違う場所で、こうしたはなしを聞いた」という事は、事によると都市部ではもっと多いのかもしれない(或いはSNS上も)とは考えています。
元々今回の論旨は偏見の塊になりかかっていたわたし自身の偏見からの開放感を主題に置いているので、最後の中森明夫氏のくだりとはいささか異なる物と認識しております。
>柴乃さん
>
返信が遅くなりすみません。
鉄道模型の場合、実物のお約束とモケイのお約束が本質的に異なるところもあるので交流・直流の並びみたいなこともできるわけでそこも魅力のひとつですね。
レンタルレイアウトの普及は一面で固定ファンの人口を増やす上で有効ですが、いたずらなマウンティングの場になってしまいやすい弊害もあると思います。
この辺はかつてのオーディオなんかと同じ隘路に入りかねない危惧はありますね。
>鉄道模型大好きおじさん
>
返事が遅くなりすみません。
そういえばオーディオも偏狭なポリシーがまかり通りやすかったですね。マニアの先鋭化も鉄道模型の先を行っている気がします(汗)
わたし個人は前世紀末、Nゲージも一時HOと同じ道をたどりかけたと認識しています。今世紀に入る前後にBトレインショーティと鉄道コレクション(と前身の「バスコレ、街コレ」)の登場ですそ野を広げたおかげで何とか首の皮一枚つながった様な印象は持っています。
>Citronさん
>
コメントありがとうございます。
仰る通りで「価値観の相違にどれだけ寛容たりうるか」というのは鉄道模型に限らず趣味全般に言える事ではないでしょうか。
冒頭の例は直接当事者に接した人に伺った話ですが、SNSやブログ上ではこうした先鋭化や過激化が目立ちやすくなっている様な気もします。
読んでいて2015年8月に2ちゃんねるかな?或る方がレンタルレイアウトで走らせていたら「悪いんだけど時代設定が合わないのでそれしまってくれよ(以下云々)」と大変失礼な口調で言われた話という話が元ツイッターで拡散し、たくさんの方々がその話を茶化した画像を掲載していたのを思い出しました。「鉄道模型 時代設定」でググると出て来ると思います。
いつの時代もこういう自分だけ良ければという輩がいてウンザリしますね。またそれに対してユーモアをもって茶化す方々が多い事に安心するのですが。
自分も鉄道模型は基本的に国鉄時代限定ではありますが、他の方が全然違う時代・設定の車輌を走らせていても自分が持っていないだけに、その車輌を見せてもらったり、すれ違いを楽しんだりと楽しいですけれどね。自分も一般常識の無い方ですが、金出しているんだから何でも自分の要求通りがまかり通るなんて図々しい考えは恥ずかし過ぎて出来ません。そこまで自分本位に浸りたいのなら他所様の所に出て来るな!自分の家の中で全て賄えって話です。
因みに、自分は武闘派なのでレンタルレイアウトでこんな事言われたらタダで済ませませんが(苦笑)。
2ちゃんねるのあのスレの件、わたしも思い出しました(笑)
今回の記事の冒頭のはなしを聞いたのは、それよりも前の頃の事なのですが、同じ人間なのか同じ様な事を言い出す人間が他にもいたのか不思議な気になったのを思い出します。
(実はその人物に対するご店主のいなし方もなかなかだったのですが、昔のこととはいえ差し障りがありそうなのでここでは書けません汗)
>他の方が全然違う時代・設定の車輌を走らせていても自分が持っていないだけに、その車輌を見せてもらったり、すれ違いを楽しんだりと楽しい~
わたしがイベントやレンタルレイアウトに行く楽しみのひとつがそれですね(笑)
ユーザー毎に異なる世界観、設定の車両や編成が行き交うお祭り騒ぎは本来楽しい事なはずだと思いますし、わたしの所属するクラブなんかは確信犯的に時代はおろか国籍までごった煮で走らせていますからw
異なる価値観(反社会的でない範囲で、ですが)を認められないたこつぼ的な度量の狭さがどこから来るのか
今回、酔いに任せてこの記事を書いているうちにそれを考え出したらますますとっ散らかった内容になりそうになったので今回は書けませんでした(汗)