帰省で「望外の鉄分補給」をしたはなし(汗)
PCの不調やら何やら(後述)でここ数日ブログの更新ペースやコメントへの返事が遅くなっていますが、もう少しご勘弁ください。
実は先週末から故郷の盛岡への帰省に入っているのですが、こちらでも予想外のアクシデントが生じて予定していたいくつかが実行できない仕儀に陥っています。
いつもなら親類周りや墓参りで出かけるところが、予定外の家事や整理に忙殺され、事実上盛岡から動けない帰省となっています。
とはいえ、そんな折でも見るものがなかったわけではなく(あるいは今回の様な偶然でもなければ見つけるのに時間が掛かったかもしれない様なもの)いくつかの収穫がありましたので、今回はその辺から。
数年前からのコロナ禍などへの対応策として、帰省の時には駅前のビジネスホテルを使う様になっているのですが、そのおかげで寝る前のひと時を駅前や周辺の散策に使える様になっています。
こればっかりは実家にいてはまずできない事なので一種偶然の生んだ役得みたいなものといえます。最近の実家の周囲は夜ともなると真面目に狐狸の類が徘徊しかねない環境なのに対し、駅の周囲はここ2,30年の間に再開発が進みとても盛岡には見えないくらいに垢抜けて(ついでに人出も増えました)夜でも宵の口くらいまでは結構にぎやかになっています。
ようやく夜が涼しくなってきた事もあって手ぶらで駅前周辺に繰り出しました。駅の連絡橋からは構内が見渡せるのですが、個人的な見どころは
間に草が生えているせいか一種の遠近法みたいに見えますが、左が狭軌、右が標準軌の並びです。タイミングが合えば両方に色違いでほぼ同じカッコの701系が並ぶという珍景が見られるのですが、田舎の夜ではなかなかそんな偶然は見られないようですね。
数は減りましたが、かつて構内を真昼の様に浮かび上がらせた照明塔の何本かも健在な様子です。
やっぱりわたし的にはこれがないと夜汽車の風情を感じない気がしていますから、これが見られるだけで一種ワクワクします。
そんな中を散策していたら、駅前のランドマークのビルの窓に何やら見逃せないものが。
窓越しにラージスケールモデルのDD51とED75のモデルが展示されているのです。
実はこれらは昭和47年の鉄道100年を記念して国鉄盛岡工場で作られたモデルで、当時子供だったわたしもこれの牽引するミニ列車に乗った事があります。その後一時期盛岡駅のコンコースに展示されていたものの、いつの間にか無くなっていて「あれは今どうしているだろう?」とか思っていたものです。
早速覗いてみると
DD51やED75は勿論でしたが、同時期に製作されながら駅での展示のなかったライブのC57も一緒に展示されていたのには驚きました。
先日のJAMでラージスケールのライブ蒸機を見てきたばかりですが、こちらのはそれらの数倍のサイズで車重も下手な軽自動車並みという迫力モノです。
間近で見ると本物を目の前にしているのと大して変わらない気分です。
これらの面白いところは、物が趣味として作られたものではなく、一応その道のプロが製作に携わった物だけに見た目のリアリティ以上に実際の運用をある程度想定した構造になっている点でした。
蒸機の操作系のバルブ類はスケールよりも実際の操作の確実さを優先しているような印象でしたし、DD51のランボード表面が模型よりも荒目なのはおそらく実車用の部材から切り出したからではないかと思います。
(因みに動力ですがC57が蒸機駆動のライブなのに対してDD51はキャブ内に「ホンダの発電機」が鎮座していました。DLならぬGLだった訳ですが、小排気量のディーゼルエンジンは実用化が難しい事を考えればガソリンエンジンの仕様は理にかなっていますね)
75と51のナンバーも実車と異なる銘板形式ですが、スタッフの拘りから敢えてそうした可能性が濃厚と思います。
ただ、どういう製作上の都合かわかりませんが、ED75のオデコが不自然に間延びしているのだけは気になりましたが(汗)
因みにDD51は2号機で後の量産型とは若干塗り分けが異なりますがモデルの方は量産機に合わせてある様です。
最初は懐かしさから見ていたのに、間近で見る時には模型趣味の観点で眺めてしまう辺りはつくづくわたしも毒されています(大汗)
これらの模型のすぐ脇、上階コンコースにはこのビルの以前に建っていた国鉄盛岡工場のレンガ壁が保存、展示されていました。
これもまた結構な迫力で、エスカレータでフロアに来ると圧倒されました。
今回の帰省、電車にこそ乗りませんでしたが、こうした形で望外の鉄分補給ができたのは有難かったです。
(実はこれだけでは済まない事態がもうひとつあったのですが、それについては次の機会に)
夕暮れに沈む盛岡駅から見える岩手山は駅のメカニックな俯瞰と見事な対比を見せてくれる恰好のランドマーク。
どんなに高くても高層ビルにはこの叙情は描けません。
わたし自身、これを見ていたら不覚にも涙が出そうになりました。
光山鉄道管理局
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実は先週末から故郷の盛岡への帰省に入っているのですが、こちらでも予想外のアクシデントが生じて予定していたいくつかが実行できない仕儀に陥っています。
いつもなら親類周りや墓参りで出かけるところが、予定外の家事や整理に忙殺され、事実上盛岡から動けない帰省となっています。
とはいえ、そんな折でも見るものがなかったわけではなく(あるいは今回の様な偶然でもなければ見つけるのに時間が掛かったかもしれない様なもの)いくつかの収穫がありましたので、今回はその辺から。
数年前からのコロナ禍などへの対応策として、帰省の時には駅前のビジネスホテルを使う様になっているのですが、そのおかげで寝る前のひと時を駅前や周辺の散策に使える様になっています。
こればっかりは実家にいてはまずできない事なので一種偶然の生んだ役得みたいなものといえます。最近の実家の周囲は夜ともなると真面目に狐狸の類が徘徊しかねない環境なのに対し、駅の周囲はここ2,30年の間に再開発が進みとても盛岡には見えないくらいに垢抜けて(ついでに人出も増えました)夜でも宵の口くらいまでは結構にぎやかになっています。
ようやく夜が涼しくなってきた事もあって手ぶらで駅前周辺に繰り出しました。駅の連絡橋からは構内が見渡せるのですが、個人的な見どころは
間に草が生えているせいか一種の遠近法みたいに見えますが、左が狭軌、右が標準軌の並びです。タイミングが合えば両方に色違いでほぼ同じカッコの701系が並ぶという珍景が見られるのですが、田舎の夜ではなかなかそんな偶然は見られないようですね。
数は減りましたが、かつて構内を真昼の様に浮かび上がらせた照明塔の何本かも健在な様子です。
やっぱりわたし的にはこれがないと夜汽車の風情を感じない気がしていますから、これが見られるだけで一種ワクワクします。
そんな中を散策していたら、駅前のランドマークのビルの窓に何やら見逃せないものが。
窓越しにラージスケールモデルのDD51とED75のモデルが展示されているのです。
実はこれらは昭和47年の鉄道100年を記念して国鉄盛岡工場で作られたモデルで、当時子供だったわたしもこれの牽引するミニ列車に乗った事があります。その後一時期盛岡駅のコンコースに展示されていたものの、いつの間にか無くなっていて「あれは今どうしているだろう?」とか思っていたものです。
早速覗いてみると
DD51やED75は勿論でしたが、同時期に製作されながら駅での展示のなかったライブのC57も一緒に展示されていたのには驚きました。
先日のJAMでラージスケールのライブ蒸機を見てきたばかりですが、こちらのはそれらの数倍のサイズで車重も下手な軽自動車並みという迫力モノです。
間近で見ると本物を目の前にしているのと大して変わらない気分です。
これらの面白いところは、物が趣味として作られたものではなく、一応その道のプロが製作に携わった物だけに見た目のリアリティ以上に実際の運用をある程度想定した構造になっている点でした。
蒸機の操作系のバルブ類はスケールよりも実際の操作の確実さを優先しているような印象でしたし、DD51のランボード表面が模型よりも荒目なのはおそらく実車用の部材から切り出したからではないかと思います。
(因みに動力ですがC57が蒸機駆動のライブなのに対してDD51はキャブ内に「ホンダの発電機」が鎮座していました。DLならぬGLだった訳ですが、小排気量のディーゼルエンジンは実用化が難しい事を考えればガソリンエンジンの仕様は理にかなっていますね)
75と51のナンバーも実車と異なる銘板形式ですが、スタッフの拘りから敢えてそうした可能性が濃厚と思います。
ただ、どういう製作上の都合かわかりませんが、ED75のオデコが不自然に間延びしているのだけは気になりましたが(汗)
因みにDD51は2号機で後の量産型とは若干塗り分けが異なりますがモデルの方は量産機に合わせてある様です。
最初は懐かしさから見ていたのに、間近で見る時には模型趣味の観点で眺めてしまう辺りはつくづくわたしも毒されています(大汗)
これらの模型のすぐ脇、上階コンコースにはこのビルの以前に建っていた国鉄盛岡工場のレンガ壁が保存、展示されていました。
これもまた結構な迫力で、エスカレータでフロアに来ると圧倒されました。
今回の帰省、電車にこそ乗りませんでしたが、こうした形で望外の鉄分補給ができたのは有難かったです。
(実はこれだけでは済まない事態がもうひとつあったのですが、それについては次の機会に)
夕暮れに沈む盛岡駅から見える岩手山は駅のメカニックな俯瞰と見事な対比を見せてくれる恰好のランドマーク。
どんなに高くても高層ビルにはこの叙情は描けません。
わたし自身、これを見ていたら不覚にも涙が出そうになりました。
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この記事へのコメント
DD51形や、C57形は、画像で見てもズッシリとした重量感を感じます。
スケールは5インチ(127㎜)ゲージ 乗用鉄道模型 より更に広い7・5インチ(190・1㎜)ゲージでしょうか?
実は静岡県の島田市にも、7・5インチ(190・1㎜)ゲージと5インチ(127㎜)ゲージ 乗用鉄道模型 の両方が走れる3線式のレールが敷かれた施設があります。
グランシップの トレインフェスタ会場で走った5インチの蒸気機関車ですら、重量は軽く300キロを越える代物ですから、7・5インチ(190・1㎜)ゲージなどは更に超重量級の代物で、このレベルになりますと、もはや「鉄道模型」と言うレベルを越えてますな。
筆者も同駅にしたくなりました。
今は展示されているようですが、同機関車たちが走る場面も見たかったです。
>運輸区主席助役さん
>
ブログでも書きましたが、盛岡機関区で行われた鉄道100年記念の運転会ではわたしもC57の牽くミニ列車に乗りました(笑)
サイズ的な印象では190ミリゲージだと思います。
展示場にあった説明板によるとそれぞれのモデルは製作期間10か月、重量はDD51とED75がそれぞれ600キロ、C57はテンダー込みで1100キロだそうです。
「下手な」どころか現行型の大概の軽自動車よりも重いですね。
おそらくですが盛岡駅のコンコースでC57だけ展示されていなかったのも、この重さがネックになっていたのではないかという気がします。