Gakken-Nのキハ26準急色
帰省往路で見つけた掘り出し物パレードはまだ続きます(汗)

今回紹介するのは学研(GAKKEN-N)のキハ26。
トレーラー車ですがこれが2両入手できました。
このモデルの個性は何といっても「準急色」である事。

元々はエーダイナインの新製品になるところだったのですが、発売直前に同社が倒産し、後に学研に吸収される形で仕切り直されたモデルでした。
気動車モデルのバリエーションが少なかった当時、キハ55系の登場はそれなりに騒がれ、更に準急色がラインナップという事で存在感は抜群でしたが、年代的に馴染みが薄い若年層には受けが良くなかったのか、あまり話題にならなかった様な気がします。
前面窓のHゴムと車体とのマッチングが弱いので隙間が目立つのがやや惜しいところですが、80年代初めのNゲージではこういう造形はまだまだ多かったと思います(汗)
さて、このモデルはTOMIXの準急色の2連が当鉄道に居ますが、今回のモデルを入れて4連というのは行けそうです。
最初の見た目の印象ではTOMIXのそれよりも幾分エーダイの方がボディカラーの彩度が高い様にも見えたのですが、帰宅後TOMIXの仕様と繋いでみたら違和感は少なく、どうにか編成として様になります。


やはり準急ともなると4連以上の長さが必要でしたから、今回の増備でそれが実現できたのは有り難いです。ただ、TOMIXの方はTNカプラーにアーノルドのアダプターを装着して対応したので連結感が不自然に間延びしてしまいましたが(汗)
後書き忘れましたが、当時としては珍しくヘッドライトが頼りなさげに点灯します。

当鉄道に在籍するキハ55系はその大半(というより2両を除いた他のすべて)が1エンジンのキハ26なのですが今回の増備でその傾向に拍車がかかりそうです。
光山鉄道管理局
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気動車モデルのバリエーションが少なかった当時、キハ55系の登場はそれなりに騒がれ、更に準急色がラインナップという事で存在感は抜群でしたが、年代的に馴染みが薄い若年層には受けが良くなかったのか、あまり話題にならなかった様な気がします。
前面窓のHゴムと車体とのマッチングが弱いので隙間が目立つのがやや惜しいところですが、80年代初めのNゲージではこういう造形はまだまだ多かったと思います(汗)
さて、このモデルはTOMIXの準急色の2連が当鉄道に居ますが、今回のモデルを入れて4連というのは行けそうです。
最初の見た目の印象ではTOMIXのそれよりも幾分エーダイの方がボディカラーの彩度が高い様にも見えたのですが、帰宅後TOMIXの仕様と繋いでみたら違和感は少なく、どうにか編成として様になります。


やはり準急ともなると4連以上の長さが必要でしたから、今回の増備でそれが実現できたのは有り難いです。ただ、TOMIXの方はTNカプラーにアーノルドのアダプターを装着して対応したので連結感が不自然に間延びしてしまいましたが(汗)
後書き忘れましたが、当時としては珍しくヘッドライトが頼りなさげに点灯します。

当鉄道に在籍するキハ55系はその大半(というより2両を除いた他のすべて)が1エンジンのキハ26なのですが今回の増備でその傾向に拍車がかかりそうです。
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この記事へのコメント
先日行きつけの中古屋に大量入荷してましたが2両3000円という値段(それでも定価の半額以下)に躊躇しているうちに売れてしまいました。買っとけばよかった(涙)
この手の気動車はまさに筆者の大好きなタイプのディーゼル車であります。
筆者の住む静岡県には、かつて国鉄(日本国有鉄道)「二俣線」(現在の「天竜浜名湖鉄道」)が、キハ20などを運用していました。
筆者が初めて「二俣線」を訪問したときに、余り時刻表を確認してはいなかったのですが、当時のダイヤでは、朝は掛川(上り)方面を優先して、キハ20の2両編成が、立て続けに掛川に到着するのに対して、遠江二俣(とおとうみふたまた/下り)方面へは、朝の8時台から暫くなく、先に掛川駅に到着する2両編成を併合して、4両編成となって、遠江二俣駅へと帰りました。
確か10時18分発でした。(8時台から10時台まで下り列車のダイヤが設定されていない。)
なので、遠江二俣に戻る4両編成の列車は、筆者以外には、行商帰り(?)の、お婆さんの方々が何組がおられる以外には、殆んど空席でした。
場合によっては1両を丸ごと貸切状態で、掛川から遠江二俣へと走っていた時期があったのでした。
今では天竜浜名湖鉄道として、地域の住民(特に通勤・通学客)の重要な足として、走っています。
>
わたしの行きつけのレンタルレイアウトのご主人もキハ55系がお好きで、ウィンの仕様も持っておられたはずです。学研の仕様をお持ちかは知りませんが今度訪問する際には比べてみたいですね。
天竜浜名湖鉄道で今のわたしが連想するのはなんといっても「ゆるキャン△ラッピング車」です(笑)
あと土曜ワイド劇場でテレビ化された「生死を分ける転車台」のイメージも強いですね(爆笑)
それはさておき、わたしの故郷では山岳線が主体だったのでキハ20系は大概が2エンジン車のキハ52でしたから、ショートサイズのキハ20にお目にかかることは殆どなかったです。
(同じ理由でキハ55系、58系も2エンジン車が中心でした)
2連併結で4連のキハ20系というのもほとんど見なかった光景ですね。正直うらやましいです。
私も両者を見比べたことがあったのですが、床下が一目でわかるほど異なってたような記憶がありますが、なにぶんかなり前の話で、今手元で比べることが出来ないので、ちょっと自信がありません。(ウィンの製品の床下はカトーの旧キハ58系とよく似ていて学研製品とは別物に感じました。)
ウィン製品は台車の転がりが悪く、結局他社の台車に換装して完成させました。
ウィンのキハ55は学研金型が車体しかなかったので窓ガラスと床下は独自制作と発売当時言われていました。
実際台車はGM製でしたし。
Winのキハ55系はわたしも手に取ってよく見た訳ではなかったので足回りの相違はわかりませんでした。
ただ、持ち主から伺った話では製品化に際して相当複雑な経緯のあったモデルらしいという事は聞いています。
>匿名希望さん
>
解説ありがとうございます。
持ち主から聞いていた通りの複雑な経緯ですね(笑)