「太陽」の「世界の蒸気機関車」「キシャ狩り族奮戦記」のはなし
先日、創刊号を紹介した「太陽」(平凡社)のはなしから。
実は古本屋で創刊号より先にわたしの注意を惹いた「太陽」のバックナンバーがもう一冊ありました。

昭和43年の6月号「世界の蒸気機関車」を特集したものです。
表紙が「英国マラード号を見上げるミニスカの姉ちゃん」という如何にも1960年代末という表紙です(笑)
日本でもようやくSLが「滅びゆく対象」として認識され始めたこのタイミング(関沢新一の「滅びゆく蒸気機関車」が上梓された前後の時期でもあります)にこの特集を組んだ平凡社の慧眼おそるべし(笑)
冒頭のカラーページではタイトルに違わず各国の当時現役だった蒸気機関車の代表的なものを俯瞰、更に英国やドイツでの当時のSL廃止の事情にもページを割き、それに汽車の切手の頁や中島河太郎の手になる「鉄道ミステリの手引き」「映画に登場するSL」などの記事が並び、あらゆる方向からSLの魅力に迫る好著になっています。
時代柄か、日本のSLについての記事は3番手位に落ちていますが、それでも印象的な写真が多く付け足しの印象はありません。

(平凡社「太陽」1968年6月号P55より画像引用)
わたし的に今回の特集の収穫は六浦光雄氏になる「キシャ狩り族奮戦記」という記事です(笑)
これは「撮り鉄」なんて言葉が登場する50年前の1968年当時、SLブームが過熱し始めた時期の「鉄道マニア」の生態を筆者が撮影旅行に同行しながら取材したものです。
呉線のC59、C62の撮影バスツアーを組んだ「レールファントリップクラブ」なる団体は「医師、デザイナー、ホテルマネージャー、酪農者、弁護士など錚々たる肩書の御仁」が並んでいるのですが、その御一行様が「お目当てのロコを撮り、録る」様をイラスト付きで戯画化したものです。
「蒸キチさんたちは紳士だ。精神・服装・言語すべてノーブルだ。畑に入る場合も家の庭に立つときも許可をもらってから行動する。旅館でも、酒を飲んで騒ぎ、常軌(蒸気)を逸するようなことはせぬ」
今の鉄オタさんにでも是非聞かせたいセリフですが、SLブームが過熱する直前の時期だったあの頃は「名士の肩書を持つファンのステイタスがまだ威光を放っていた」時代でもあり、そこにも当時の「オトナになりたがった鉄道趣味」の一断面を見る思いがします。
(事実、悪意はないとは言ってもこの記事においてすら一般人のマニアに対する珍獣扱いの視点が透けて見えますから)
が、それらも含めて本誌全体はあの頃のマニアの熱気と空気を偲ばせる点でなかなかに面白く、且つ楽しめる内容だったのも確かです。

(平凡社「太陽」1968年6月号P53より画像引用)
当時はSL至上主義者が多く「電車やディーゼルには見向きもしない」というキャプションを付けて「DD54をスルーするマニア」のイラストが載っていましたが、今のファンの目で見たら「何と勿体ない事を」に見えるかもしれません笑
この辺りなんかは、現在の鉄オタ中核世代とのジェネレーションギャップをも感じさせるところです。

鉄道とは関係ありませんが裏表紙の広告が「ゼネラルマルチステレオ」というのに時代を感じます。
今の感覚だとエアコンかパソコンのイメージが強い富士通ゼネラルとステレオというアイテムは咄嗟に結び付きません(笑)
光山鉄道管理局
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昭和43年の6月号「世界の蒸気機関車」を特集したものです。
表紙が「英国マラード号を見上げるミニスカの姉ちゃん」という如何にも1960年代末という表紙です(笑)
日本でもようやくSLが「滅びゆく対象」として認識され始めたこのタイミング(関沢新一の「滅びゆく蒸気機関車」が上梓された前後の時期でもあります)にこの特集を組んだ平凡社の慧眼おそるべし(笑)
冒頭のカラーページではタイトルに違わず各国の当時現役だった蒸気機関車の代表的なものを俯瞰、更に英国やドイツでの当時のSL廃止の事情にもページを割き、それに汽車の切手の頁や中島河太郎の手になる「鉄道ミステリの手引き」「映画に登場するSL」などの記事が並び、あらゆる方向からSLの魅力に迫る好著になっています。
時代柄か、日本のSLについての記事は3番手位に落ちていますが、それでも印象的な写真が多く付け足しの印象はありません。

(平凡社「太陽」1968年6月号P55より画像引用)
わたし的に今回の特集の収穫は六浦光雄氏になる「キシャ狩り族奮戦記」という記事です(笑)
これは「撮り鉄」なんて言葉が登場する50年前の1968年当時、SLブームが過熱し始めた時期の「鉄道マニア」の生態を筆者が撮影旅行に同行しながら取材したものです。
呉線のC59、C62の撮影バスツアーを組んだ「レールファントリップクラブ」なる団体は「医師、デザイナー、ホテルマネージャー、酪農者、弁護士など錚々たる肩書の御仁」が並んでいるのですが、その御一行様が「お目当てのロコを撮り、録る」様をイラスト付きで戯画化したものです。
「蒸キチさんたちは紳士だ。精神・服装・言語すべてノーブルだ。畑に入る場合も家の庭に立つときも許可をもらってから行動する。旅館でも、酒を飲んで騒ぎ、常軌(蒸気)を逸するようなことはせぬ」
今の鉄オタさんにでも是非聞かせたいセリフですが、SLブームが過熱する直前の時期だったあの頃は「名士の肩書を持つファンのステイタスがまだ威光を放っていた」時代でもあり、そこにも当時の「オトナになりたがった鉄道趣味」の一断面を見る思いがします。
(事実、悪意はないとは言ってもこの記事においてすら一般人のマニアに対する珍獣扱いの視点が透けて見えますから)
が、それらも含めて本誌全体はあの頃のマニアの熱気と空気を偲ばせる点でなかなかに面白く、且つ楽しめる内容だったのも確かです。

(平凡社「太陽」1968年6月号P53より画像引用)
当時はSL至上主義者が多く「電車やディーゼルには見向きもしない」というキャプションを付けて「DD54をスルーするマニア」のイラストが載っていましたが、今のファンの目で見たら「何と勿体ない事を」に見えるかもしれません笑
この辺りなんかは、現在の鉄オタ中核世代とのジェネレーションギャップをも感じさせるところです。

鉄道とは関係ありませんが裏表紙の広告が「ゼネラルマルチステレオ」というのに時代を感じます。
今の感覚だとエアコンかパソコンのイメージが強い富士通ゼネラルとステレオというアイテムは咄嗟に結び付きません(笑)
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この記事へのコメント
見向きもしない車両としてDD51があげられます。
蒸気機関車を撮影している者からすれば「やっかいもの」として片付けられてましたので、今でも減りはしましたがその傾向は続いているようです。
似たような件は国鉄形車両が中心と言う人は、国鉄→JRグループだけに限定しての乗り鉄旅や車両などの研究をするために私鉄・専用線は論外と言い切るくらい力があります。
敷居が高いせいか話が合わないことが何度かありました。
趣旨からそれますが、鉄道に関する研究本はどうしても国鉄時代が中心になるため総合的に述べていないものもあるかもしれません。
>趣旨からそれますが、鉄道に関する研究本はどうしても国鉄時代が中心になるため総合的に述べていないものもあるかもしれません。
その影響なのか、国鉄より私鉄が先駆けている鉄道の電化関係だと「日本の鉄道電かは碓氷峠が初」みたいな誤解がけっこうあるんですよね。
(碓氷峠電化は明治末期なのでむしろ後発でその前に都市近郊の電鉄が発展、車両も機関車などより電車発達の方が先。)
事実上電車においては京都電気鉄道が最初に営業運転開始したことは承知した上で1904年の甲武鉄道の電車運行開始から物事を始めていることが多く感じられます。湘南電車より前の高速電車についても同じです。
京急電鉄や阪神電鉄の方が早い段階で営業しているのは無視されているように思います。
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクションに「私鉄高速電車発達史」がまとまって発売されたので詳細がわかるようになったようです。
電気機関車においても同じで、トンネル工事用に輸入された機関車について簡単な記述があるだけで、碓氷峠・三井三池の炭鉱鉄道・八幡製鉄所専用線を並行して紹介しているのがほとんどです。幹線電化についても秩父鉄道の電化についての知見から述べていることが多く、南海電鉄の機関車については書かれていません。
過去に出版した書籍全体が同じ記述ではないことは承知してますが、研究している人が限られた資料などを調べた結果かもしれませんが、改訂版または全訂版が出版あるいはネット上で公開するときは注意しなくてはならないと考えます。
JR以前の国鉄時代は「全国規模で同じような車両が走り回っていた(素人目には中身や外見の差異が少なかった)」がゆえに対象となる読者(或いは同好の士)を万遍なく拾え、共通の言語で語りやすいという特徴があると思います。
これも国鉄形偏重の一因だったのではないでしょうか。
地域的な偏在が激しい私鉄はどうしても遠隔地のファンを拾いにくい点で不利だったのは確かでしょう。
わたし的に時代のジェネレーション差を最も感じるのは「0系新幹線」ですね。現役当時あれほど鉄道マニアの反感を買っていたのに、いざ引退となると惜しまれるという落差に世の無常を感じたりもしましたw
電車に関してはスタートが路面電車だった事が多かったために、一般レベルにはいわゆる「鉄道」として認識されにくいハンデがあったのではないかと思います。
実際軌道線からスタートしてその時のゲージを引き継いでいる京王電鉄みたいなのもありますし。
ですが、コメントで触れられていた「誤解」に関してはもっと発信される必要があるのではないかと思います。