私にとっての「鉄道模型趣味」とは(私見)


 今回はこれまで折に触れて考えている事の話です。
 くどい上に長い話ですので退屈すると思いますがご勘弁を。

 以前も言いましたが私がこんな話をするときは金か体力がない時か、酒が入っている時です(笑)
 実際しゃべるだけなら金や手間はかかりませんし。



 その昔、あるSNSに加入してプロフィールを記入した時に「あなたにとって鉄道模型の魅力とは」という項目に来た時にハタと困りました。
 と言うのもこれまでそんな事を考えた事がない位に(笑)鉄道模型好きは自明の事だったからで改めて好きな理由を聞かれても咄嗟に出なかったからです。

 ですが良い機会でもあったのでここいらで検討してみるのも良いかもしれないと思い直しました。

 乗り物の模型というのはそれこそ色々あります。
 飛行機もあれば船もあり自動車やバイクに至っては言うまでもないでしょう。
 更にそのそれぞれはジャンルによって細分化されそのそれぞれが又細かな流派に分かれています。

 自動車を例にとるならディスプレイ目的と走行目的の物にまず二分されます。前者は工作目的のプラモデル・ソリッドモデルとコレクション性の高いミニカーに分けられ、後者は主にRCカーとスロットレーシングに分かれます。
 これが飛行機になると更にジャンルの分化が凄まじい事になります。飛行目的のモデルだけとっても紙飛行機からライトプレーン・ラムジェットモデルからRC・UCに至るまでのジャンルの広さがあります。
 それとは別にディスプレイモデルの世界がそれだけで独立して存在します。

 飛行機やクルマではそれらの分類だけで一冊の本ができる位です。

 ではそれらの乗り物モデルと鉄道はどこが違うでしょうか。

 ここからは純粋な私見ですのでそのつもりで。

 飛行機や自動車のモデルの特徴は上記の様にジャンルの如何を問わず「機体や車両のモデルだけで自己完結できる」事にあります。例えば24分の1の精密なフェラーリのモデルがあるとしましょう。これはもちろんそれなりのディスプレイ台があれば引き立つでしょうがこれが炬燵の上にぽんと乗っかっていてもそれなりにかっこよく見える訳です。
 同じ事は着陸脚を出した状態ならばF-14でも同じ事ですし、船ならタイタニックのモデルでもそれは同じでしょう。

 ところがこれと同じ事を鉄道車両でやろうとすると妙に間が抜けてしまうのです。炬燵の上に超細密なD51が載っていても何か物足りない、間が抜けた感じになるはずです。
 その理由は簡単です。

 鉄道車両の場合「どんなに優れた細密モデルでもレールとセットでなければ魅力が発揮できない」事が最大の特徴と思います。
 鉄道という交通機関は1次元の乗り物です。それ自体は飛行機の様な上下左右の3次元はおろか自動車や船の2次元的な動きすらできません(線路に沿ってでなければ曲がる事すらできない)

 これは乗り物モデルとしては本来致命的な弱点なはずです。飛行機や自動車の様な操作の自由度がなく、飾って楽しむにしてもそれだけではただ間が抜けているだけに過ぎない代物に魅力を見出す事など出来ない筈なのです。

 にも拘らず魅力なのは何故か。

 それは鉄道が1次元の交通機関であるがゆえに「運行や走行のシステムそのものを模型化できる」という点に尽きるのではないかと思います。
 鉄道とは施設産業です。レールがあれば駅もある。それらに付随した無数の施設や装備があってはじめてまともに走れる乗り物です。言い換えればそれらのシステムを楽しめることが鉄道模型の大きなアドバンテージであると考えられます。

 この考えをもう少し広げてみましょう。


 鉄道とは「運ぶべき客・貨物があって初めて存在できる交通機関」です(この点貴族の玩具としての存在意義が残っていた~オーナーが所有しオーナー自身が操縦できる~自動車や飛行機とは根本的に異なります)つまり客がいない所には駅や線路は引けないし駅がある以上は町がなければならない。

 沿線人口が1万人の所にフル編成の通勤電車が走るのはおかしいし、単線非電化の丙級線にフレイトライナーが通るはずもない。
 「娑婆の存在あっての鉄道であり、鉄道だけで世界は存在しない」ことを認識し、その表現にスキルやセンスを傾注するものだけが本来の意味での鉄道模型趣味人足りうる資格を有すると考えられます。
 実際センスは大事だとおもいます。センスが発揮できれば上記の如き不自然な設定を不自然でなく見せる事ができますから。

 そのシステム性と社会性ゆえに欧米では大人の趣味としての認知があり趣味の王様たり得ていると言えます。

 更にそのシステムの中では家や街並みはもとよりミニカーや飛行機モデル(実はミニカーの標準スケールの43分の1と言うのは鉄道模型の1番ゲージのスケールに、飛行機やミリタリーモデルの76分の1は英国のOOやHOスケールに近い物です)どうかするとガンプラなどのアニメモデルすら同じベース上に共存させうるのです。
 そしてそれらのディスプレーモデルを集合させた風景の中を自走できる列車が駆け抜けるというのはそうしたシステム化された世界同士を繋ぐ存在としての列車が活躍できることを意味します。
 
 したがって鉄道模型の魅力を語る時に「レイアウト」は決して避けて通れない訳で日本で主流となってしまっていた「細密車両偏重主義」は本来の意味での「鉄道模型」からは大きく外れたものであるとも言えます。

 私が鉄道模型に感じた魅力もまさにそれであり「レイアウトを作り、走らせる」点が欠落していたら鉄道模型を趣味にすることはあり得なかったともいえます。 

 
 自分の思う世界を思うように表現し、その中を繋ぐ存在としての列車を走らせる。
 堂々とした通勤列車のフル編成を走らせるならそれに見合うだけの背景が必要(これは単行のキハ04であっても同じ事です)でありそれが表現できての「鉄道模型」だというのが私にとっての鉄道模型のプライオリティといえそうです。

 それにしても理想を語るだけなら楽なのですがこれが実行できるのはいつの事やら(大汗)

 おまけにこの論旨には私自身予想もしなかった落とし穴がありました。
 このポリシーだと車両増備の際に「○○鉄道のファンだから」とか「蒸気機関車が好きだから」とかいう理由ばかりでなく「この車両・編成なら自分のレイアウトに似合いそう」という「第3の理由」で衝動買いに近い形で入線させてしまうのです。

 おかげで数年前なら見向きもしないジャンルの車両(例えば蒸気とかイベント列車など)までもが増えてゆく(それに反比例して痩せて行く財布の中身)弊害が・・・

(写真は本題とは関係ありません)

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