鉄道模型と運転の本質についておもうこと


 最近昭和40年頃(つまりNゲージ登場前後)のTMSを読み返していて膝を叩かされる事が増えています。

 特にレイアウトと運転のコンセプトについてですがNゲージの登場に合わせてある号で古くからのレイアウト、鉄道模型ファンの二井林一晟氏が面白い事を書かれておられました。
 少し長いですが大意を書かせて頂くと

Nゲージの登場前夜、ある模型クラブの集まりでNの将来性について語られる中で他のメンバーから「運転なんてパワーパックのレオスタットを握っているだけでレイアウトを2,3回走らせれば終わり」「大レイアウトでも一日運転していたら飽きる」と言った発言が聞かれたと言うところから始まります。

 そこで二井林氏はそこから「何故運転というものが面白くないのか」という事を考察し始めます。
 まず、当時のファンの運転に対する姿勢として、

 マニアの集まる運転会では参加者は持参した列車を順にレールに乗せて走らせている。見ているギャラリー一同はそれを実感的だとか音が静かだとか評し、車両が変わると作者と評論家が交代しひとしきりほめ言葉とためいきが続いて一日が終わってしまう。
 「何のことはない、運転会なんて新作発表のファッションショーみたいなもので、作者のうぬぼれと観衆の好奇心が奇妙にバランスして成立している集団なのである」
 だから例えばたまたまそこを通りかかった人たちには何の興味も与えられない。
 この点ではクラブなどの運転会もカナリアや盆栽の品評会とかわらない。現在の鉄道模型はまだまだ自作を鑑賞するモケイであり、運転は二の次三の次に置かれていると言っても過言ではない~

 と言った様な事が書かれておりました。


 驚いた事にあれから50年近くが経とうとしているのにこうした体質が殆ど変わっていないことに驚きすら感じます。私自身にとっても耳の痛い事夥しい文言なのですが、現状は16番がNになり鑑賞するべき対象が「自作」から「完成品」に変わっただけといっても過言ではないでしょう。
 もっと言うなら「運転会」が「レンタルレイアウト」に変わった事くらいでしょうか。

 
 そして論は登場したばかりのNゲージへの期待に及びます。
 まず「いよいよ誕生するNゲージには16番と同じ鑑賞モケイではなく運転を中心としたゲーム的なファクターを持った趣味としたいと考えている」
 という所からはじまり、一般的なゲーム、例えば将棋や麻雀を例にとって「これらは見て楽しむものではない。同じ道具を何十年と使っていても一向飽きることなく腕が上がればますます遊ぶ事に興味が湧いてくる」というゲームの本質に触れています。
 そして「ゲームは見てくれが面白いのではなく、道具の作り方が楽しいのでもなく遊び方が複雑で変化に富んでいるから面白いのである。我々の鉄道模型にもこのようなゲーム的因子を導入できないものであろうか」と結んでいます。
 この随筆の後半では具体的なゲーム的運転について書いていますがこれ以上書くと長くなりますのでこれ位で。

 残念な事に日本のNゲージに関する限りこれとは逆の車両偏重方向に行ってしまっています。自作車両の工作から完成品セットのコレクション的な流れに言ったことくらいが変化と言えば言えます。
 レイアウトも運転を楽しむ方向から盆栽的な細部への作り込みばかりがもてはやされる方向に行きかけている感があります。

 又、このくだりでは、玩具として発達してきた欧州の鉄道模型が運転におけるゲーム的因子を早くから取り入れてきたがゆえにテレビゲームそのものと競合してしまい一時的にせよ衰退したことを思い出させます。
 が、日本に関する限りそのレベルにすらまだ行き着いていない。カプラーの遠隔自動開放もデジタルコマンドによる個別の動力車コントロールも、最近ではワイヤレスパワーユニットによるウォークアラウンド運転すらも定着していないのが現状です。
 これなどは高価とか面倒とかいった以前にそもそも「そうする事でどれだけ面白いか」が理解されていないのが問題と言う気もします。

 「列車をただ走らせるのは運転とは言えない。時刻表による運転が本当の運転である」これは同じ頃にGD LINEの製作者のJOHN ALLEN氏が言われていた事ですが、これほど極端ではないにせよ(これが極論に見えるほど今の現状は後進的なのですが)せめて運転に際しての最低限の約束事が設定され、それが守られる事で運転そのものの楽しみ方は大きく変わると個人的には考えています。
 鉄道と言うのは自動車や飛行機以上に運転上の「ルールの遵守」が求められる乗り物であり、そこに魅力を感じられないうちは単なる「車両萌え」のレベルからは抜け出せないのではないでしょうか。

 一般に鉄道オタクといわれる人種の中には鉄道の持つ一部分だけを拡大嗜好(車両だけ、特定会社だけ)する向きが多く、撮影時の周囲を省みない態度や行動にそれが象徴されていますがそういう意味ではこうした人種にはレイアウトの魅力や運転そのものの魅力は中々理解できない気がします。
 そうした人種の多さがそのままレイアウトの普及の足枷となっている面もあるのではないかと最近思い始めています。

 ですが亀の歩みよりのろいもののこの50年で徐々にこの方向性は変わってきてはいますし、わずかな萌芽であってもこれから現状が変わってゆくであろう予感も感じてはいます。
 なにより、「走る鉄道模型の一員であるわれわれとしては運転というものが面白くないはずがない。我々が子供の頃から持ち続けている鉄道の魅力に対する憧れを自分の掌中に把握し自由自在に制御しうる趣味が愉快でなくて何であろう」と言う二井林氏の言葉は私にとっても鉄道模型の原点となりうる言葉であり、この感覚は大事にしていきたいと思います。

 今回も酔っ払いの戯言に近い内容ですし、敵をいっぱい作りそうな気もしますが気にさわられた向きにはご勘弁をば。
(写真は本題とは関係ありません)

光山鉄道管理局
 HPです。

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