「模型」と「オモチャ」で思うこと

 今回は酔っ払いのたわごと的な考察で行きたいと思います。
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 鉄道模型の場合、他の模型以上に「模型」と「オモチャ」の違いが強調されるきらいがあるのは専門誌や入門書を読んでいたり、あるいはネットでの論争などを見ていても感じます。
 (大概の場合は「鉄道模型はオモチャではない」という文脈で語られるなかで特定のフォーマットを貶したり持ち上げたりする際の方便に使われている事が殆どですが)
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 ですがこの問題について考えてみると「鉄道模型」そのものが他のジャンルのモデルと異なる特徴、すなわち特殊性とも密接にかかわっているのではないかと思えます。

 今回のはなしはかなり独断と偏見の入り混じった内容ですが、いつもの「酔っ払いのたわごと」と思ってご勘弁をば。
 (正直、酔っています汗)

 まず、模型と玩具を分ける一線とは何でしょうか。これを考えてみたいと思います。
 この定義は人によって色々あると思いますが、私なりにごく大雑把な分け方ですが、

 「飾る事を主な目的としてその外観をプロトタイプに忠実になぞっているもの」を模型
 「動かしたり触れる事によってプロセスを楽しむ物」をオモチャ
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 と分けるのも一つの考えではないかと思います。
 この定義は大雑把に考える限りにおいては比較的妥当なものではないかと思います。
 
 実際、ブリタニカ等の百科事典で「模型」を検索すると博物館の展示品等を中心に書かれている物が多く「趣味の対象としての模型」はあまり触れられていません。
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 さて他のジャンル、例えば車の場合だとディスプレイ主体のミニカーやプラモデルとRCカーやスロットレーシングなどの走らせて楽しむモデルが同じ土俵で語られるという事は殆どありませんし、或いは飛行機模型のソリッドモデルと飛ばすためのRCプレーン、飾るためのフィギュアと抱きしめて楽しむドールについても同様です。

 そして、不思議な事に専門誌などを俯瞰しても鉄道模型の場合「ディスプレイ専用のモデル」がメインに来る事は殆どないのです。
 いつの間にか世界に冠たるプラモデル大国となったらしい日本でも鉄道車両のディスプレイ用のプラモデルは常に傍流扱いである一方で、鉄道模型の場合はブラス製のこれでもかとばかりにディテーリングに凝った細密モデルでも「必ずモータとギアが装備されレールに電気さえ流せば走行が可能なもの」が殆どです。
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 まずこの点が鉄道模型の特殊性のひとつではないかと思えます。

 走らせるうえでの機能を無視してまで外見の細密度や素材の優劣を語るのなら思い切ってモータもギアも付いていないディスプレイモデルだけをやっていれば良さそうなものですが不思議とそういう方向に行かないのです。
 同じ論法でそこまで走りに拘るならば鉄道模型でなくともプラレールを走らせても良い訳ですが大勢は不思議とそっちの方へも行かない。

 そこまで考えて思ったのですが、鉄道模型と言うジャンル自体が「模型」と「オモチャ」の折衷的な性格を元々持っている鵺、又は両生類的な存在であると言えるのではないでしょうか。
 つまりは鉄道模型の場合は同じモデルが「模型」と「オモチャ」の性格を同時に持っているとも言えます。

 その目で見た場合、いわゆる「ガニマタ問題」やNやZで最近語られる「車輪の厚さやフランジのでかさ」の問題などは「模型とオモチャ」の両方の特性を持つ鉄道模型ならではの問題と言う事が言えそうです。
 (もっと古くから言うならOゲージの「3線の線路」もかなりの違和感があった筈ですし)
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 これは模型と玩具の両面を持つ鉄道模型の特性が無意識にファンの中で認識されているからではないかとも思えるのです。


 ですが飛行機模型を趣味としている人でも飛ばして遊ぶRCプレーンをやっている人の家に細密な展示用ソリッドモデルがあっても別に不自然ではありませんし、飛ばす楽しみと飾る楽しみがゾーニングされつつも同居しながら趣味として成立している事が多い気がします。
 その辺りの割り切りがはっきりしているのが他の模型の世界であり、鉄道模型でよく見られるファインスケール論争やガニマタ論争に類する論議などとは無縁な理由のひとつではないかと思います。 
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 鉄道模型のファンで「走らせる為にプラレール、それとは別に飾るための50分の1の精密プラモデル」しかやっていないケースはあまり聞かないですが強いて言うなら「飾るためのHO(16番)、走らせる為のN」というのがそれに近い気もします。
 それでもHO(16番)には決まってモータとギアが装備されているのですが。
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 ただ、ここで誤解しないでいただきたいのは「あいまいで鵺みたいな性格だから鉄道模型が他のジャンルより劣っている」訳では決してないという点です。 

鉄道模型の場合、その性格のあいまいさゆえにファンやマニアの間で少なからぬ混乱と弊害が生じているのも確かですし、「鉄道模型はオモチャではない」という論旨と同じ位「鉄道模型なんか模型ではない」と言う論にも説得力がある遠因にもなっている気がします。後者の場合は「鉄道模型=幼稚」と切り捨てる傾向にそれが出ているとも言えます。

 ですが私自身の場合、「模型にもオモチャにもなれる」そのあいまいさこそが鉄道模型の重要な魅力のひとつではないかと思っています。
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 もしもHO(16番)やNゲージのモデルが全て走る事の出来ない展示モデルの工作ばかりだったら私はこの趣味に入らなかったでしょうし、そのシステム性の高さに魅力を感じ驚嘆していてもプラレールをやろうとは思わなかったと思います。
 プラレールよりも実物に近いプロポーションを持ち、そこそこのディテーリングの施された車両をプラレール並みにシステマティックな運転・走行システムで走らせる事ができる。
 これは鉄道模型がオモチャでも模型でもない、鵺的な性格だからこそ可能なものだと思います。

 と同時にオモチャをも模型をも超える可能性を当初から持っていたフォーマットであることの証左でもあります。
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 どんなに精密なRCカーであってもNや16番並みのディテーリングのものはありません。
 あったとしても実際の走行の繰り返しに耐えられずすぐダメになってしまうでしょう。
 逆に実物とみまごうほどの精密なソリッドモデルの飛行機であってもそれ自体を実際に空を飛ばす事は出来ません。
 でも鉄道模型ならそれができる。

 もっと言うならレイアウトひとつとってもその中に「玩具箱」の楽しさと「ジオラマ」のリアリティを並立させうる強みがありますし、その過程で単に鉄道に留まらない、より大きな世界の表現も可能な趣味でもあるとも言えます。

 とはいえ、それを十分に楽しむには非常に高度なバランス感覚が必要なのも確かです。
 オモチャにも模型にも淫する事のない感覚を保ち続けて初めて100%堪能できるのが鉄道模型であり、それが実現できる人にのみ「鉄道模型は大人(あるいは紳士)の趣味である」と言う資格があるのではないかと思います。

 とはいえここまでの論旨自体は非常に穴だらけなものである事も事実です。
 この点については今後もう少し突っ込んで考察してみたいと思います。

 まあ、屁理屈ばかりのはなしではありましたがホームズマニアの中のシャーロキアンや初期の頃のガンダムファンがよくやる様な考証大会の変形とでも思って読んでいただければ幸いです(汗)

 実を言いますと今回の考察もきっかけは「模型」と「オモチャ」の境界の曖昧さを痛感させるアイテムを最近購入した事も関連しています。
 それについては次回辺りに。

 (写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
 HPです。


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